3月3日(日)主日礼拝 レント第三主日

 

前奏

 

招きの詞 (詩編100:1-3)

全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。

喜び祝い、主に仕え

喜び歌って御前に進み出よ。

知れ、主こそ神であると。

主はわたしたちを造られた。

わたしたちは主のもの、その民

主に養われる羊の群れ。

  

頌栄 28番(21)あるいは545番(1954年版)

 

(罪の告白)

あわれみ深い父なる神よ

わたしたちは無知と弱さの故に、また故意に、思いと、言葉と、行いによって、あなたと隣人に対して罪を犯しました。

わたしたちは、お与えくださったあなたの愛と、わたしたちのうちに与えられている神のかたちを傷つけました。

これらの罪のゆえにわたしたちはみ前に悲しみ、恥じ、悔いています。

神は真実な方ですから、わたしたちが罪を言い表すとき、主イエス・キリストのあがないの故に、わたしたちの罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。今、わたしたちは自らの生活をかえりみて、これから1分間の沈黙のうちに、それぞれ自分の罪をみ前に覚えて祈ります。

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わたしたちの罪のために、十字架で死に、よみがえられた御子イエス・キリストの故に、わたしたちの罪をお赦しください。

主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。

 

讃美歌 291番(21)

 

聖書 ルカによる福音書11章27-32節

 
 

 エフェソの信徒への手紙5章1-9節

 

 

(祈り)

御在天の父なる神さま

あなたの御名を賛美いたします。

このような罪人のささげる礼拝を、イエス・キリストの故に受け入れてくださることを、感謝いたします。

戦争の行なわれている地域の人々のことを思います。

イスラエルがパレスチナ国家を認め共存していけますように、憎しみの連鎖を静めてください。ハマス側も攻撃を止め、イスラエルのガザの虐殺を、世界の国々の正義にゆだねることができるようにしてください。

能登半島地震の被害の大きかった地域の人々に、一人一人にふさわしい支援が少しでも届きますように、お祈りいたします。

今日は、教会員で、遠方に住んでいる、兄弟姉妹たちのことを覚えて祈ります。

その地における信仰生活、教会生活の上にあなたの御導きを願います。

どうか、ホームページによっても礼拝を守っていますように、お祈りいたします。

その他、生活のすべての上に、あなたの御守りを祈ります。

今日の礼拝を導いてください。

聖霊の御働きを乞い願います。

各地の教会の礼拝の上に、主の恵みを祈ります。

感謝、願いを、主イエス・キリストのみ名によって、み前におささげいたします。アーメン。

 

説教  「ヨナのしるし

 

(こどもの方へ)

 皆さんは、どういう人が幸せな人だと思いますか? ルカによる福音書11章27節,28節に書かれていることは、「本当に幸いな人」についてです。

 イエスさまのお話を聞いていた人の中で一人の女の人が、「なんと幸いなことでしょう。あなたを宿したお腹、あなたが吸った乳房は。」と大きな声で言った人がいました。「イエスさまのお母さまになるように決められた人はなんて幸せな人でしょう。うらやましいです。」ということです。イエスさまのお話を聞いて感動したのでしょう。イエスさまのお話がすばらしかったので、こんな息子さんを持った方は、本当に幸せ者ですね、ということです。

 皆さんは「親の顔が見たい」と言われたことはないですか。まだないですか。悪いことばかりしていると、そう言われます。その反対に、素晴らしい人の親はうらやましがられるものです。しかし、イエスさまは何と言われていますか? 「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人です」と言われています。本当に幸せな人は、わたしの母ではなく、神の言葉を聞いて、それを守る人です、と言われたのです。みなさんも、これからイエスさまの言葉、聖書の言葉をたくさん聞いて、それを守る、幸せな人になりましょう。

 今日のところには、ヨナの名前が出ていましたね。ヨナさんのことを知っている人も、知らない人もいると思います。ヨナは旧約聖書の「ヨナ書」に出てくる預言者です。ある時、神さまから、遠くの国ニネベに行って、「ニネベはもうすぐ滅びますよ」と言うように、命じられました。ヨナはそうするのが嫌だったので、舟に乗って逃げました。でも、神さまは嵐を起こされ、ヨナは、海に投げ込まれ、大きな魚に飲み込まれてしまいました。そして三日三晩、暗いお腹の中で過ごしました。その時、魚のお腹の中で神さまに、あるお祈りをささげました。すると、神によって、魚の口からヨナは吐き出されて、奇跡的に助かったのです。11章29節でイエスさまはこう言われています。「今の時代の者はよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」。「しるし」とは奇跡のことです。だれも信じない時代にあっても、ヨナのしるしを信じる人たちがいるだろうと言われています。ヨナのしるしとは、イエスさまが死なれてから、墓の中におられ、3日目に復活されたことを言っておられるのです。今の時代にあっても、このヨナのしるしを信じる人になりたいものですね。

  

讃美歌  298番(21)1,2,5節あるいは138番(1954年版)1,2,5節

 

(おとなの方へ)

 主イエスは母マリアを愛しておられましたが、いちばん幸いなことは、神との関係であること、主イエスから神の言葉を聞いてそれを守る人たちのことだと、地上的なことにしか興味のない人々に対して言われています。そして、主イエスに救いを求める人たちに対して、みな奇跡を求めるけれど、ヨナのしるししか与えられないと言うのです。正しいしるしはヨナのことである、というような謎のお言葉です。

 旧約聖書にある「ヨナ書」(1445ページ)は短いものですが、非常に変わった本です。預言者ヨナが大きな魚に飲み込まれたり、神に対して最後までふて腐れた態度でいるヨナの出てくる、かわいらしい印象に反して、旧約聖書の主流である選民イスラエルに対する強烈な批判の書です。よく旧約聖書に入れられていると思います。悔い改めて救われたのは、イスラエルの憎い敵アッシリアの首都ニネベの方であるということです。他の預言書「ナホム書」(1459ページ)等は、ニネベの滅びを語っています。

 ヨナ書の2章を見てみましょう。

 「さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、 言った。

苦難の中で、わたしが叫ぶと

主は答えてくださった

陰府の底から、助けを求めると

わたしの声を聞いてくださった。

あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。

潮の流れがわたしを巻き込み

波また波がわたしの上を越えて行く。

わたしは思った

あなたの御前から追放されたのだと。

生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。

大水がわたしを襲って喉に達する。

深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。

わたしは山々の基まで、地の底まで沈み

地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。

しかし、わが神、主よ

あなたは命を

滅びの穴から引き上げてくださった。」(ヨナ2:1―7)

 

 さて、このようなヨナのしるしの意味を理解し、信じて救われた人はどうしたらよいのでしょうか。エフェソの信徒への手紙5章にはこう書かれています。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」(1-2節)。キリストにおける神の愛は、わたしたちの模範として、キリストの自己犠牲を示しています。神は、キリストの十字架によってわたしたちを愛してくださるようになったのです。この愛の神に倣い、愛のうちに歩むには、キリストがわたしたちのために御自身を神への香りのよい供え物、またいけにえとしてとしてささげられたように、あなたがたも自己犠牲のできる愛をもって、生活しなさい、ということでしょう。キリストの十字架によって救われた人は、「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)と言われていました。自分の十字架を背負って主に従うというとは、どうにもならない自分の不幸や運命を背負って主についていく、という意味ももちろんありますが、ここは、より積極的なことが言われていると言えます。どちらも喜んで従う点は同じですが。古い自分を捨て、前の自分とは違った生き方をしなさい、ということです。

 次に勧められていることは、こうです。「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい」(3-5節)。ここでは、神に倣う子どもとして生きる行為とそうでない行為を対照させて、語られています。偶像礼拝者とは、別の宗教の神を礼拝しているというより、普遍的に、自分を神として生きている人のことです。自己本位で、隣人を自分のためにふみにじる生き方は、人間の本来の目的を実現できなくするものです。

 そして「むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい。」と書かれています。たとえ、そちらの方が得に見えても、神の怒りは不従順な者に下るのですから、仲間に引き入れられないようにしなさい、というのです。そして、あなたは初めから光の子ではなかったこと、救われるまでは「暗闇」であったことを思い出し、常にキリストに感謝して、力を受けるようにしましょう、と言っています。「今は主に結ばれて、光となっています」とは、御言葉の光である方との結びつきによって、そうなっているということです。

 「光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」と書かれています。「善意と正義と真実」のどれが欠けてもあまりよくないと思います。正義だけ、真実だけで、善意に欠ける場合や、正義や真実を欠いた善意だけということもあります。これらは皆よいものですが、三つ揃うとより光の子に近づけるということを教えられます。聖書の御言葉から、また御言葉である方から光を頂いて、そのように歩めるなら「なんと幸いなことか」と思います。

  

(祈り)

天の父なる神さま

ヨナの祈りのように、滅びから引き上げていただいたわたしたちが、ますますあなたの栄光を現すことができますように、御言葉と聖霊を与え続けてください。

わたしたちに礼拝が与えられていますことを感謝いたします。

大魚の中にいたヨナのように、わたしたちも苦難の中で主に祈ることができますように、お願いいたします。

主の十字架と復活を見て救われる人が増えますように、祈ります。

また、救われた人々の生活を、導き続けてください。

この感謝、願いを、尊き主イエス・キリストのみ名によって、み前におささげいたします。アーメン。

 

讃美歌 314番(21)1,3,5節

     

日本キリスト教会信仰の告白(→こちらからご覧になれます)

 

聖餐式 

讃美歌 80番1,2,3節(21)

  

奉献  

讃美歌 65-2番(21)

献金

主の祈り(→こちらからご覧になれます)

 

頌栄 24番(21)あるいは539番(1954年版)

 

派遣と祝福

 

後奏

 

※今週の祈りは「他住会員を覚えて」です。